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探偵小説 マリアバックナンバー 第11話〜第15話 登場人物紹介ジャック天野 探偵 沢田久美 探偵助手(天野の事務所に居候) 井上夫婦 家出調査依頼人 井上幸太 家出少年 マスター 純喫茶<憩い>のマスター ヒロ 井上幸太の友人 東谷 井上幸太の先輩 渡辺翔 上に同じ 山本 下請けの調査員 あらすじ大阪で私立探偵を営むジャック天野のもとに、ある日中学生の家出捜索の依頼人夫婦が訪れた。この依頼を発端に事件に巻き込まれるが…… 15話 車を乱暴にターゲットの家の前に停め、インターフォンも押さず、慌ててドアに手をかけようとしたが、フッと冷静さを取り戻し、足でスライドさせて玄関に入った。 ドアが開く音に気付いて母親が出てきた。夫はすでに仕事場に出かけたと言う。 「部屋見せてもらってもいいですか?」 「どうぞ」 母親に次いで階段を上る。 見た限り、部屋に異常はない。と言うか異常がないのがおかしい。状況から察するに、寝たまま担ぎ出されたと考えるべきだろう。着替えた形跡もないし、何よりターゲットの靴が玄関にあるのがそれを物語っている。 「警察に……」 少しあたふたとしている母親が言った。 「そうですね。恐らく拉致かそれに近い状態で連れていかれたんでしょう。ドアはピッキングでしょうね」 つっかえ棒も役には立たなかったようだ。若干の責任を感じた。同時にロック難波とかなんとかいうかぎ屋の顔を思い出し、無性に頭に血が上ってきた。母親に警察への連絡を頼み、車を走らせた。 かぎ屋は地下鉄大国町の駅から歩いても2分ほどのところにあった。一軒家を改造した店舗兼住居で、2階が昨日の男の住居と思われる。昨日のバイクもガラス越しに店舗の中に見える。 インターフォンを押した。 「はい」 30前後の男の声だ。 「ちょっと鍵の事でお伺いしたいんですが」 「はいはい。すぐ店開けますし」 昨日の男が出て来た。にこやかに愛想笑いをしている。 「どうされました」 「お前が昨日拉致ったボウズのこと聞きたいんやけど?」 「はっ?」 顔ではとぼけた表情を作っているが、明らかに目が泳いでいる。白々しく何のことかわからないと男は言った。 「そうか。ほな今から一緒に警察行こか」 男の肩を掴んで外に出そうとする。 「なんで私が……」 「なんでて、お前、下見も行っとったやないかい。四ツ橋の店の連中と。写真もあんど良かったら」 もう言葉がないのか、押し黙ってしまった。 「とりあえず車乗れや。なんぼもろて(もらって)んのか知らんけど、れっきとした誘拐事件やないかいっ」 おれは男の腕を強く掴んで、ジャージ姿のまま車に押し込もうとすると、男は必死に堪え、事の重大性がわかったのか、店を出たところで尻込みし、腰が抜けたように動かなくなった。 それでも無理やり引っ張って押し込もうとするが、半泣きの形相で男は地面に張り付く。 「ちょっ、ちょう待って下さいよ。なんでも言いますから堪忍して。この通りっ」 額を地面に擦り付けての土下座。泣き落としか。 「ほんで井上さんの家の鍵開けてどないしたんや」 ここからはすべてICコーダーに録音した。 「寝たまま布団にくるんで車に乗せました。私は怖かったけど、手伝えと言われたので、一応手伝いました」 「立派な犯罪者やないかい。ほんでどないしたんや」 「車に乗せて、四ツ橋の店まで運びました」 「店ん中入ったんか?」 「はい」 「誰がおった?」 「なんか黒人のでかい兄ちゃんと50前くらいの細いオカマみたいなオッサン。それから車で一緒に行った二人です」 黒人は店のバーテンか。オカマは恐らくマスターだろう。 「あんたに仕事を頼んだんは誰や」 「名前は知りませんけど、店の中でオカマさんが『ショウチャン』って呼んでました」 渡辺翔か。 「それは下見にも行ったときにおったヤツか?」 「そうです」 (ほぉ―――っ) なにか輪郭のようなものが浮かんできたような気がした。オカマと翔ははじめからツルんでるわけか。 「女はおらんかったか?」 「いえ、おられません」 「何時ごろ行ったんや」 「3時過ぎです。あのぉ、私警察に捕まるんでしょうか?」 男は哀しそうな顔でおれにすがってきた。自業自得以外のなにものでもないが、なるべく警察のご厄介にはなりたくないと思うものだ。 「まぁ、行い次第やなぁ。協力してくれたら悪いようにはせんで」 「ホンマですかっ! なんでも協力します」 協力と言ったって、もう話も聞いたし、今後この男に協力してもらうことはないのだが。 「あんた名前はなんちゅうねん」 「前田と申します」 それから10分ほど詳細な状況を聴取し、井上宅に向かった。 家の前には、すでにパトカーが賑々しく5台ほど到着しており、鑑識課の警察官が玄関ドアや自宅内を忙しそうに出入りして証拠や遺留品の捜索をしている。 門の前から中をのぞくと、中年の刑事に事情聴取されていた母親と目が合い、刑事察におれを紹介したようだ。 「探偵の天野さんですか?」 その刑事が母親の聴取をおえて、おれの所に軽く会釈をしながら近寄ってきた。 「そうです」 「お母さんにお聞きしたら、息子さんの家出の調査をしてたとか?」 「そうですよ」 「なにかご存知なことがあったら捜査協力を……」 おれはさっきの男の名刺を差し出した。 「この男がこの鍵をピッキングであけて、仲間と一緒に連れ去ったらしいですな」 中年刑事は傍らにいた若い刑事に目配せし、二人の刑事をパトカーでかぎ屋に向かわせた。 さっきの今で、突然のパトカーの来訪にさぞ驚くことだろう。悪いがお前にはもう用はない。これで彼も世間の冷たさと日本の警察の底力を体感できて、一皮剥けることだろう。慌てふためく形相が目に浮かぶ。 このページのトップへ 14話 「すみません……」 助手席の山本が申し訳なさそうにうな垂れた。「気にせんといて。それよか山本さんの体の方は大丈夫?」などと、人間らしく励ましや慰めの言葉の一つもかけたい気持ちはあるが、半分は「鈍臭いのう」と冷ややかな内心だった。 「襲った相手は憶えてませんか?」 死にそうなくらいに弱ってる人間には少々酷かもしれないが、お慰みなどは通用しない世界だ。山本は苦痛に顔を歪めながらも思い出そうとしている。 「一応プロなんやし」 そんな山本に追い討ちをかけるように冗談交じりに嫌味を言うと、こめかみからエラの辺りの横顔の筋肉が大きく一回収縮し、彼の負けじ魂を刺激したようだ。 5分ほど車の中に沈黙の時間が流れ、目を閉じて手のひらを額に当てて、さっきの出来事を回想していた山本が、クッと痛みを堪えるような息を吐いた後、細い目をシカッと見開いた。 「そう言うたら………襲われた後にあのオッサンがUターンして戻ってきて『ちゃうなぁ』って言うたと思いますわ……」 「山本さんを見て?」 「多分……」 ちゃうなぁ――― 恐らくマスターはおれが尾けてたと思っていたのだろう。と、すると、やはりこっちの動きはすべて筒抜けだったに違いない。 「で、久美は?」 「わかりません。どつかれた時は、多分、ぼくの後ろにいたと思うし」 事務所の前で車を停めた。鍵を渡して<Do Black>に戻ろうかとも思ったが、せめてコーヒーでもと考え直し、山本の左腕をおれの首に回し、介添えしながら事務所に迎え入れ、とりあえずソファーに山本の体を寝かす。 山本の短い苦痛に耐える吐息を聞き流し、コーヒーメーカーから一滴また一滴と抽出されるコーヒーを眺めながら、彼の更なる記憶の蘇りを冷ややかに期待した。 おれの身代わりになって襲われたことへのお詫びの意味も若干込めて、テーブルの上にコーヒーを置いた。プロとしての意地なのか、顔を歪めながらも記憶を紐解く表情が哀れを誘う。 「もういいですよ。とりあえず寝ましょ。明日になったらなんか思い出すでしょ」 山本は3回4回と小さく小刻みにうなずいて応え、フーッと一息つき、少しリラックスした表情になった。口の中が切れて痛むのか、熱いコーヒーには口をつけないでいる。 よく考えると、こんな熱帯夜にホットコーヒーを勧めるバカはおれだけか。苦笑しながら冷蔵庫から麦茶を出して、グラスに注ぎ、コーヒーの横に並べて置いた。 久美のことが気に掛かる。かと言って、今の状況ではあいつを捜索する手掛かりは<Do Black>で見つけるしか他に無い。手間と時間を考えると、体がすぐには動かなかった。 焦る気持ちを抑えた。あいつも探偵の端くれだ。若いわりにはそれなりの修羅場もくぐってるだろう。目を閉じると、自然に睡魔に襲われた。 翌朝、電話の音で目が冷めた。柱時計は7時35分を指している。呼び出し音に気付いてから5回目くらいで受話器を上げた。 「いませんっ!」 相手は中年女性だ。大声。しかもかなり焦っている。返答に窮していると「井上ですっ」と更に大声で相手は名乗った。 (いない……?) 「息子さんがっ?」 すぐに目が覚めた。 「そうです。起きたらいません。玄関が開けっ放しですわ。靴はあるし、自分で出て行ったとも思えませんっ!」 母親は相当困惑している。話の途中で電話を切り、井上宅に急行する。 このページのトップへ 13話 満足げな顔で写るマスターの横で、無表情にうつむき加減で写っている少年がいる。少年がつくる憂鬱な表情の原因は、もしかすると隣のオッサンが馴れ馴れしく腕をからませているからか、どうも嫌々フレームに収まっているとしか思えない。 写真立ての裏側のピンをはずし、フタをとると、中にはもう一枚写真が入っていた。表の写真にもまして寒ぶイボが出そうなショットだ。多分このベットルームだろう、ベットの上にはへそ辺りまで布団を掛けて寄り添って寝そべり、カメラ目線で写る二人の姿があった。 そういう関係。二枚の写真の裏側にはいずれも、翔と、と記されている。これが渡辺翔とすると、昨日の昼間に<YOU>で見た男とは少し違う気もするが、写真に刻まれた日付は6年前の日付だ。今の翔が20歳前後とすると、この写真の頃は15歳ということになる。顔立ちもどことなくあどけなさが残り、不良少年の匂いはない。 二枚目の写真を失敬し、暗闇になれた目で部屋を360度見回すが、他にこれと言って目ぼしいものはない。ベッドの横にあるドレッサーの扉を少し開けるが、防虫剤の匂いがもれたところで、すぐに閉めた。あんな写真を見せ付けられ、さらに何かよからぬモノが出てきて日にゃ食欲不振に陥る。好奇心を自制した。 ベッドルームを出て、階段をはさんで隣の部屋をのぞく。この部屋がリビングになるのだろう、大き目のレザーソファーとサイドボード、32インチのテレビが堂堂と置いてある。 部屋の趣味は普通か。水色のカーテンに白っぽいクロス。ソファーは紺色の事務所でも使えそうなノーマルなものだ。ただ、中央のソファーテーブルの下に敷かれた豹かライオンかなにかの一匹ものの毛皮敷きはいただけない。 ソファーの後ろにあるサイドボードをのぞこうと、中腰にこしをかがめたところで携帯電話が鳴った。あまりの唐突さに、一瞬ビクついたが表示を見て、さらに驚いた。 山本携帯 あわてて受話し、どこっ! と、不躾に叫んでいた。 「こちら、なんば駅前の牛丼店です」 聞き慣れない事務的な30歳前後の男性の声が続く。 「当店のごみ箱で倒れていた男性がこちらの方に電話をするようおっしゃったので……」 「牛丼? 小柄な40歳くらいのオッサンか?」 「そうです」 「っんで、どうしてんのっ?」 「まだ倒れてます。とにかくここへ電話をとおっしゃったので」 「わかったすぐ行くし、そのままにしといてっ!」 おれは慌てて店の階段を駆け下りた。店のドアを閉め、シャッターを下ろしたが鍵はかけずにとにかくなんば駅に向かって走った。 ものの5分で駅前の牛丼屋が見えた。この店の北側に、さっき電話をくれた男性が立っていた。心配そうにゴミ捨て場を見ている。 「さっき電話もろたモンです」 「あぁ、どうも。30分くらい前に車でここに捨てられたみたいですわ。最初見たときは意識あったんですが。救急車呼びましょか?」 「いや、車あるし、こっちで何とかします」 店員もやっかいな事に巻き込まれたくないのだろう、後はよろしくお願いしますと言って店に引っ込んだ。 おれは、山本の頬を2発3発と張るが、まったく首に力がない。息はあるが、ひどく衰弱しているようだ。右目のあざと髪の乱れが痛々しい。腹もダメージを受けているのだろう。白いシャツがドロドロに汚れている。 ゴミ捨て場の横にある水道の蛇口をひねり、傍らにあったブリキのバケツに水を満たして頭から勢いよくかけるが、全く反応なし。 駅前の時計は深夜1時をさしていた。タバコを片手に一服つけ、ボロ雑巾のようになった山本の横で燻らせると、漂った煙の刺激で少し気がついた。 「おぉ――い!」 耳元で大きく呼びかけた。鼓膜に響いたのか、顔をしかめて少し目を開けた。 「どないしたんやっ」 「あぁ」 おれの顔と声を確認し、少し安堵したようだ。 「わ、わかれへんけど……襲われたんや思いますわ」 力のない声だ。 「誰に?」 「わかりません」 「久美は?」 「わかりません……。なんせ一撃でやられたんで……」 そう言って、また気を失いかけるが背中をたたいてきつけし、歩けるかと問うと首を横に振った。とりあえず、牛丼屋の隣にあるオフィスビルの引っ込んだスペースに引っ張り込み、車を取りに帰る旨を伝え、首を縦身振ってうなだれる山本を壁にもたれさせ、<憩い>に向かった。 店の50メートル手前でシャッターが開いているのに気付いた。一つ手前の筋の角に身を隠し、様子をうかがう。店の照明がもれているところを見ると、強盗の類ではない。 10分後、マスターが出てきた。少し大きめの黒いリュックを背負い、首をかしげながらドアとシャッターを施錠する。入るときに鍵が開いていたのが気がかりなのだろう。牛丼屋からの電話がなかったらと思うと寒気がする。 マスターは、店の前に駐車されたおれの車には気付かず、おれと反対方向に歩いていく。山本の事が気に掛かるが探偵の宿命と諦めてもらうしかないだろう。背後にさらなる追尾者がいないことを、三呼吸ほどおいて念入りに確認し、マスターの後を追った。 店の一筋東にあるピンサロの呼び込みが目ざとくマスターを見つけ、彼も歩きながら気さくに声をかける。手を挙げて別れながら、次の筋を左に折れて北に歩くとすぐに千日大通りが見え、三列になって群がる空車のタクシーに乗車した。 おれは、マスターに尾行を気付かれてないことを確認し、すぐ後ろのタクシーに乗車。そのまま西へ向かった。 なんの事はない、向かった先は<Do Black>だ。あのオッサンもタヌキか。知らぬこととは言え、不用意に相談を持ちかけた自分の軽率さを悔やんだ。 おれは、マスターが店に入るのをタクシーの中から見届け、何かよからぬ事を考えている客だと疎ましげに思っているこのタクシーの運転手に、乗った場所まで引き返してくれと頼んだ。 「へい。お客さん、あの店よう行かれるの?」 運転手が変な笑いを浮かべてボソッと言う。 「いや、入ったことはないけど」 「あれ、でっしゃろ?」 「あれ?」 「そう。ゲイバーっちゅうんですか? それもかなりヤバい」 「そうなん? 運転手さん、なんで知ってんの?」 「なんでて、有名でっせ。半年前かに麻薬の密売かなんかでオーナーが捕まってますしね」 (ほぉ……) 「オーナーって日本人?」 「ミナミのクラブのオーナーですわ。ニューハーフクラブね。結構有名な人やけど知らはれへん?」 「そう。知らんかった」 千日大通りでタクシーを降り、<憩い>の前で慎重に辺りを確認してから車に乗車した。細い路地を抜け、なんば駅前に出た。 山本は無事にノビていた。上体を起こし、首の付け根あたりに一発張り手を入れると、ガッと目を見開いた。 「大丈夫?」 「はぁ、なんとか……」 「送りましょうか。車は?」 脳震盪で軽い記憶喪失になっているのだろう、2分ほど間をおいて、100円パーキングに駐車したことを思い出した。 「はな、明日でも取りに行っとくし、とりあえずウチの事務所で休んでいきますか?」 「はい」 おれは山本を抱え上げて助手席に乗せ、事務所に向かって車を走らせた。 このページのトップへ 12話 <憩い>は、すでにシャッターも下ろされ閉店していた。通りの十軒ほど先にあるピンサロのネオンとは対照的に、店の横にある壊れた街頭がチカチカと空しく光り、案外、古びたこの店の外観を規則的に照らし出していた。 ここまでの道中で、何十回となく久美と山本の携帯を呼び出すが、どちらも応答は無い。車を傍らに駐車したまま、携帯電話のリダイヤルを繰り返しながら、あてもなく9割方の商店が閉店してもアーケード内だけは妙に明るい千日前商店街を西へ歩いた。 こんなパニクッた状況で、おれが想像できるのは、やつらが、<憩い>の張り込みをする二人を目ざとく見つけ、オカマを尾行して油断している二人を背後から襲ったのか、と、いうぐらいの貧しいものだ。 商店街を通り抜け、高島屋の前に出た。お決まりの泥酔サラリーマンのグループが5〜6組。それぞれのグループでお互いを「こらっ! オッサン!」「行くでっ ! オッサン」などと呼び合ってじゃれている。関西独特の光景だ。 (オッサン……?) 何かがつながりかけた気がした。 オッサンに聞いたら……この間シメた近藤の携帯電話に入っていたメールの一節だ。 オッサン―――もし、この『オッサン』が<憩い>のマスターだとしたら、やつらの迅速な対応もうなづける。おれ達の今朝からの動きもすべて把握しているはずだ。 そう思いだすと、すべてがリンクしてきた。初めてこの件の話をした時のあのオッサンの反応、今朝のリアクション、もしかするとすべてはあのオッサンが。 おれは高島屋の前でUターンし、反応の無い二人の電話へのコールをやめ、携帯電話のアドレス帳を繰った。 カ行、『かぎ屋』。通話。コールしている。 (まだつぶれてない) かぎ屋は、職業柄か深夜にもかかわらず、ワンコールで爽やかに出た。 「24時間どこでも出張! かぎ屋でございますっ!」 「出張してくれ」 「はっ?」 「出張してくれっちゅうにゃっ!」 「どちら様でしょうか?」 もう5年も会ってない。声も忘れてるのだろう。 「探偵や」 「あぁ……」 声のトーンが下がった。ちょっと迷惑そうな声だ。 「仕事してっ」 「これからですか? またヤバいやつ?」 「大丈夫、今日のは。喫茶店のシャッターとドア開けてぇ」 彼も心得たものだ。理由など何も聞かず、一旦言い出したら聞かないおれの事を察して観念した。 「何処ですか?」 「高島屋の前で待ってるし」 はいはいと面倒臭そうに言って電話は切れた。 あのオッサンが一枚噛んでいるとしたら、あの店になにか残っている。そう考えた。と言うか、当のオッサンの自宅も知らないおれにとっては、唯一の手掛かりを拾うとすれば、この店しかない。 待つこと10分。屋根付きの三輪バイクにまたがって、颯爽と登場した。まんざらでもなさそうに口元が緩んでいる。5年前より少し太っているか。何より商売が板についたような落ち着きが感じられた。 「毎度!」 お互い極日常的な挨拶を交わすも、懐古趣味にふける暇も無く、早速、<憩い>に向いながら少しだけ状況説明する。おれの仕事を理解する数少ない友人だ。みなまで言わずとも、飲み込みは早い。 5年の歳月が二人を大人にしたのかも知れない。話し振りは何ら変わってないが感覚的にそう思った。 店の手前にバイクを駐輪、後部のトランクから商売道具を取り出したかぎ屋は、無言のまま、すぐさま仕事に取り掛かった。 シャッター15秒。ドアも30秒とかからず簡単にオープン。右手でOKサインを出して振り返った彼に、財布の中の有り金をすべて渡した。 「ありがとう。悪いね夜中に」 かぎ屋も心得たものだ、見張っとこうか? と返してきた。気持ちはありがたいが更なる被害者を出すのは本意ではない。 「すぐ済むしええわ。また頼むし」 軽く頭を下げ、右手で手刀をきって感謝の意を告げた。シャッターを閉め、中から鍵を掛けると、かぎ屋のバイクの音が遠のいた。 (さてと……) エアコンの切れた店内はサウナ状態だ。店の左右両方に建物が隣接し、灯りの漏れる窓はないが、用心のため照明は点けずにジッポーを懐中電灯代わりに店の奥に進む。無臭の店内にオイルの匂いが漂い、おれの足音だけが響いた。 カウンターの奥には6畳ほどの厨房。壁をゆうゆうと這っていたゴキブリが、気配に気づき、急ぎ足で陰に隠れた。水回りとあって湿気が強いが、思った以上にきれいに整頓されている。その手前にある細くて急な十数段の階段をのぼり、2階に上がる。階段を上ったところから左右に一部屋ずつ、まずは表通りに面した部屋のドアを静かに開けた。 薄っすら匂っていた趣味の悪い香水の香りが、ドアを引いた途端に一斉に溢れ、熱帯夜でボケた頭の気付薬になった。ドレッサーとダブルベッド。これまた趣味の悪い装飾品の数々を、カーテンを開けたままの窓から入る、外の壊れた街頭の灯りが照らす。一昔前の安物のラブホテルの一室という印象を受ける部屋だ。 カーテンレールに吊るされた、どこで仕入れるんやとツッコミたくなるようなド派手な衣装と、部屋のわりには豪華なドレッサーが目を引いた。 もう一つおれの目にとまったのは、ダブルベッドの枕元に飾られた、ウエッヂウッドの写真立てだった。 このページのトップへ 11話 7時30分。<Do Black>に入った三人は出てこない。1階の服屋はすでに閉店し、周囲の店もそろそろ店じまいの支度に入っている。 長時間シートに座って縮こまった体を伸ばそうと、ドアを開け車外に出ると真夏独特のアスファルトから蒸し返す熱気で張詰めた気持ちが一気に萎えた。 ただ立ってタバコを一服吸うだけで、首筋と背中に汗がにじむ。ベルトを緩め、ウエストの辺りのカッターシャツのたるみを直していると、車内から久美がウインドウを叩いた。 無線機のマイクを指差している。ギンギンに冷えた車内にすばやく戻ると、山本からだった。 「多分、母親と思われる女性ですが、今自宅に入りました」 「了解。他に出入りはなかったですか?」 「はい。全く異常無し」 「了解。すみませんが、久美と一緒に別の現場に移動してもらえません?」 「はい、了解。どこです?」 「千日前です。新歌舞伎座の前で待っててもらえますか?」 「了解」 交信が終わり隣のシートに目を移すと不満そうな顔の久美と目が合った。 「いや?」 「別に」 あきらかに嫌そうであるが、山本を一人で行かすのも忍びない。出来ればおれが行きたいが、余計にキツい。 何とかなだめ、くれぐれも用心して尾行するよう久美に言い含めて送り出した。いつもは強気な娘だが、珍しくためらいがあると彼女の顔には書いてあった。ふて腐れた態度で車を出て行くと、離れていく足取りも何処となく重そうだ。 久美の姿が見えなくなると同時に店の前に原付バイクが停まった。バイクを降りたのは、この店には似つかわしくない、30歳くらいの爽やか系営業マン風の男。 男の服装はグレーのスラックスに紺色の半袖作業着。左胸に白っぽい刺繍が入っているのは恐らく社名だろう。肩から下げていたショルダーのソフトアタッシュを右手に持ち替え、軽快な足取りで<Do Black>への汚い階段を駆け上って行った。 10分後、一番下っ端の運転手の男と一緒に営業マンが店の階段を下りてきた。二人は店の南の角を曲がった所に停めてあった黒のワゴン車に乗り込む。営業マンは後部座席。 とりあえず尾行。ワゴン車は発進して、そのまま東へ走行、御堂筋に出て右折して南に向かう。いやに大人しい運転なのが気に入らない。 5分後、到着したのはターゲットの家の前だ。さっきと同じように門の前にワゴン車を横付けしている。わずか数十秒で再び発進。御堂筋を経て、四ツ橋筋を北進する。 店を出て、わずか15分足らずで戻ったことになる。 二人がワゴン車を降りて店に向かう途中で待ち伏せ、おれの目は営業マンの胸の一点を凝視していた。 ロック難波(ナンバ)―――そう刺繍されている。やつらの計画が読めた。ここでじっと待っても始まらないと覚り、すぐさま店を離れ、ターゲットの自宅に向かう。道中「まさか」とも思うが、おれたちの常識でモノを計れる輩ではないことは先日来から実体験で学んでいる。 井上宅に到着と同時の午後8時5分、久美からスタンバイしたと連絡が入る。老婆心ながら、もう一度「くれぐれも」と言うが「わーってる」と乱暴に電話は切れた。 そのまま目の前の井上宅に架電。在宅していた母親が出た。 「天野です。お変わりないですか?」 「ないみたい。まだ寝てるし、起きてもいないみたい」 「そうですか。お母さん、恐れ入りますが、今日は雨戸閉めて玄関は内側からつっかえ棒して寝てもらえますか」 「えっ!? 何かありましたん?」 突然のことで少しパニクったか恐怖心を与えてしまったようだ。 「いや、そろそろクスリも切れる頃ですし、何があってもいいようにとね」 母親はため息混じりに了解してくれた。夫が帰るのが9時過ぎになるので、その後に言われた通り戸締りすると約束し電話を切った。 まさかやつらがピッキングに来るとは言えない。出来れば鍵を取り替えもしたいが、夫婦の不安を煽るだけだろう。一抹の不安を抱え、外の蒸し暑さも忘れて狭い路地の住宅街に身を潜めた。 10時を回ると路地には人通りがなくなった。とは言え、ここ2時間でも五人のサラリーマンと若いOLが二人通っただけだ。10分程前にターゲットの家に帰って来た夫は、妻に促されながらバットのような棒で玄関ドアにつっかえ棒をした。 30分後、辺りの静けさを破ったのはけたたましく鳴るおれの携帯電話だった。一回半の呼び出しで通話ボタンを押すが、電波状態が悪いのか電話の向こうに声は無い。いや、かすかに鼻息か風の音がする。 「やっ……ら」 それだけで切れた。着信番号は山本の番号だ。かけ直すが再びかからない。久美の電話は、 「……電波の届かない場所にあるか……」 圏外。5回6回7回……すべて圏外。 やられたか――。 直感した。最悪のシナリオが何本も脳の中を駆け巡った。井上夫婦には電話で何かあったらすぐに連絡をするよう伝え、オカマの店に急行する。 この物語は完全なフィクションです。登場する人物、団体等の名称はすべて架空のもので、実在する人物、団体等とは何ら関係ありませんので、御了承下さい。 このページのトップへ |
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