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探偵小説 マリアバックナンバー 第1話〜第5話 登場人物紹介ジャック天野 探偵 沢田久美 探偵助手(天野の事務所に居候) 井上夫婦 家出調査依頼人 井上幸太 家出少年 マスター 純喫茶<憩い>のマスター ヒロ 井上幸太の友人 東谷 井上幸太の先輩 渡辺翔 上に同じ 山本 下請けの調査員 あらすじ大阪で私立探偵を営むジャック天野のもとに、ある日中学生の家出捜索の依頼人夫婦が訪れた。この依頼を発端に事件に巻き込まれるが…… 5話 10分ほどマンションの前でたむろした後、ガキ達は出てきた。おれの事務所を偵察に来たのなら、もう少し静かに様子を窺えばと思うが、その辺は彼らがガキたる所以、騒々しく4台の原付バイクに分乗し、バリバリと下品な音を残して去っていく。 おれはヘッドライトを消したままバイクの集団を追尾した。若干の気味悪さを頭の何処かに引きずりつつも探偵の本能が無条件反射で車のアクセルを踏む。 バイクの集団は時速にして20kmほどの速度でノロノロとお互いが絡み合うように併走し、大声で会話を交わしながら騒音を撒き散らし、御堂筋に出て北上、元町2丁目の交差点で一台だけが別れ、四ツ橋筋に入った。追尾にはもってこいだ。コイツの後を追う。 道頓堀に架かる深里橋を渡り、4つ目の信号を左折、西向きの一方通行を走る。コイツのねぐらは近い。無灯火で距離を詰めた。 そこから500mほど走った北堀江の古い町屋と町工場が混在する一角でバイクは停まった。手前の角を曲がったところで車を放り、バイクの先にあるボロアパートに入ろうとするガキの真後でタバコに火をつけた。ジッポの音と灯りで一瞬ビクついたガキが振り返る。が、おれの顔を見た表情に変化はない。 面までは割れていないとさとり、ガキの喉元を左手をのばして押さえ、コンクリート塀に身体ごと押し付け、鈍い音がしたのも構わず右手で平手をかました。いきなりのことでガキは縮こまる。 「何さぐっとんねんっ!」 突然のことで動揺し、押し殺した声に迫力を感じているのか震えながらぎこちなく首を振るガキ。 「誰に頼まれたっ!」 お決まりのセリフで問い質すもガキはただ首をふるだけだ。念のため短パンのポケットをまさぐると、この頃のこういう手合いの必需品バタフライナイフが出てきた。 刃を出してガキの横っ面に押し付け、アパートの敷地から引きずり出して車のドアを開けた。一応の抵抗を見せる手足を蹴り上げ助手席に無理矢理押し込み、ドアを閉める前に顔面に蹴りをブチこんだ。 おれは運転席側に座るとビデオを回し、鼻血を流す無様な顔をアップで捉え、同じ質問を繰り返した。近藤サトシと名乗るこのガキは、名前と生年月日は素直に吐いたが、誰に命令されたかは頑として答えない。 「マリアか?」 おれの言葉に少し動揺したのか目元を中心に顔がギクリと動く。が、この件には関係ないと言い切った。恐らくその手下が独断で手を回していることは容易に想像がつく。 終始うつむき加減の近藤を睨みつけ、車内に沈黙が流れた時、近藤のポケットから振動音がした。携帯メールか。出せと言うおれの命令に恐る恐るポケットに手を突っ込んで携帯電話を差し出した。 最新メールの差出人は渡辺さん。マスターが言っていた渡辺翔のことか? 本文は[どうやった?]のみだ。 「おれのことか?」 携帯で横っ面を張りながら訊き質すが頑として無言だ。 「渡辺っちゅうと、二中の翔のことやな」 無言ではあるが、近藤の顔には「そうです」と書かれてある。 おれは幸太の時と同様に取り上げた近藤の携帯電話にメール転送器を差し込み、すべてのメールを転送した。 これ以上この使いっ走りに問い質したところで何もわからないだろう。そう思って、携帯を外に放り投げた。 「おれがお前にクンロクいれたて誰にもうたうなよ! そん時はこれで撮ったショボいお前の姿を<ドクロ>に送ったるどっ!」 最後に口止めすると、無言で浅く頷いた。 ドアを開けさせ、この少年がアパートに入る姿を確認し、車を発進させた。放り投げた携帯を後輪が踏みつけた音が密封された車内に空しく響いた。 このページのトップへ 4話 事務所に帰る道すがら、久美に電話し、おれのPC内のターゲットのメールを開封して内容を吟味するよう指示する。電話をしながら、死んだように眠りに陥っていたターゲットの姿を3年前の久美の姿にダブらせた。ちょうど3年前、アイツがおれの事務所に転がり込んできた時も同じ様な症状だった。頬が異常にやつれ、食欲もなく、翌朝から三日三晩眠っていた。 9時を回り、<憩い>の前を通ると珍しくまだ営業中の看板が出ていた。向かい側で車を停め、首筋の汗がカッターシャツにまとわりつく、いやな暑さをおぼえながらネクタイを外し、店のドアを開けた。 いつもながら無言で迎えられ、カウンターに陣取った。マスターの機嫌が悪そうなのは、テレビで流れている阪神タイガースがボロ負けをしているからだろう。 「メシないの?」 おれもぶっきらぼうに言った。 「パスタでええか?」 「チーズが入ってなかったら何でも」 マスターは無言で調理場に入り、おれは勝手にカウンターの横の冷蔵ケースからビールを出して、一気に飲み干した。 「あれ行って来たでぇ、服屋」 「どやったん?」 興味津々といった表情だ。目が光っている。 「あの服屋の2階が怪しいかな? <ドゥーブラック>て言うの? シャレコウベのマークの」 「そやんかいな。『ドクロ』て言われてんねん」 (!?) 「あぁ、それで」 DoBlack―――『ど黒』か。シャレのきいた店名だ。やっとドクロマークの意味がわかった。 「家出少年も帰ってきたんや」 「ホンマかいな。なんやそれ?」 「う〜ん、さっき家行って見た来たけど、死んだように寝てるんや」 これやと思うと、おれが腕に注射をするジェスチャーをすると、マスターは顔をしかめてうつむき「そう……」とだけ言った。 「久美もそやったやんか昔。なんか可哀相でなぁ」 それからは二人とも言葉もなく、おれは出来上がったミートスパゲティーを腹に流し込んだ。 店内の沈黙を破ったのは久美からの電話だった。電話の先で久美は「わけがわからん」と言う。少年のメールの内容が意味不明なことが多いらしい。 「年の近いお前がわからんのやったら、おれにはもっとわからんやろな」 半分苦笑しておれが言うと、 「ドクロっていう言葉が異常に出て来るけど、これ何?」 「バーの名前。ホントは<ドゥーブラック>っていうんや。四ツ橋のランプんとこにある……」 「あぁ、あれかぁ」 おれの言葉を遮って言う。 「知ってんの?」 「ちょっとだけね。でもあそこってヤバいとこでしょ?」 久美の声はオクターブ下がっていた。とりあえず帰ってから話すというので、電話を切った。電話を傍らで聞いていたマスターもいつになく真剣な表情だ。 「あんた、あんまり首つっこまん方がええんちゃう?」 「なんで?」 「子供や思ってナメてたらエラい目に合うで、その内」 中年オカマの話がくどくなりそうなので、わかったと言って千円札を一枚カウンターにおいて店を出た。 おれの車の陰で立ち小便をする泥酔した中年サラリーマンを足蹴にし、車に乗り込んだ。何か大声で叫んでいるその男をバックミラーで見ながら、千日前の商店街を外れ、事務所の前に車を停める。 もう10時だというのに気温は30度はありそうだ。ドアを開けると車のボディーからの熱気と、コンクリートの町並みで蒸し返された熱帯夜のムンムンした熱気を浴びせられ、喫茶店で引いた汗がまたジットリ肌にしみ出した。 さらに蒸し風呂状態のエレベーターで5階に上がり、事務所のドアを開けると、冷凍庫にでも入っているのかと思うほどギンギンに冷房がきいていて、やっと天国に辿り着いた、そんな爽快な気持ちにさせられた。 すでに久美はPCにかじりつき、少年のメールをチェックしていた。 「どう? 他になんかわかった?」 「う〜ん、今日のメールがなんかちょっと変」 「変? どう変?」 久美が当のメールをクリックした。 [もうヤバイ。おれ抜けるわ。お前どうする?] 差出人は井上幸太。宛先は『ヒロ』となっている。今朝、母親から預かったメモに書かれたターゲットの友人の一人だ。今日の午後1時に送信し、このメールに対する返信メールは無い。 「『抜ける』って何?」 恐らく組織を抜けるという意味だろう。ターゲットのおかれている状況を簡単に久美に話した。 「これ読んでたらそういうとこに入ってるような感じやわ」 久美は別に驚きもせず、別のメールをクリックし、5通のメールをモニターに広げて出した。 「これ見て。数字かいてあるやろ?」 5通とも数字と地名か名前らしき文字が書かれたメールだ。 [ケン10 中之島1] [福島0.5] [中野1 津守5] [甲子園1 梅田2] [中之島2] モニターを眺めているおれの横で久美が言った。 「運び屋ちゃうか?」 ターゲットが麻薬の類を客に手渡す運び屋をやっていると久美は言う。多分シャブだと……。 「なんでわかんねん?」 「ウチもやってたし」 素っ気なく言う。 「そうやったなぁ。あの頃はひどかった」 そうおれが言うと機嫌を損ねたのかムッと押し黙り、ソファーでふて寝する。 「あの店って女の客にクスリ盛って監禁したり、なんか悪さするって噂聞くで」 と、寝そべって天井を見ながら久美が言う。 「行ったことあんの?」 「いや行った友達が言うてた」 おれはPCの前に座り、50通ほどのメール全てに目を通した。 メールを見ると、相当な強迫観念でターゲットが運び屋をしているのがわかる。同時にヒロという友人の上に『東谷』という先輩の存在が見え隠れしている。 ターゲットとヒロは、この東谷というヤツの配下と思われ、尻をたたかれて仕事をしていることが窺えた。 [東谷さんにどつかれた] [東谷さん、怒ってるで!] こんなメールが多い。さらにその東谷からのメールには、 [オレがマリアに会わす顔がないやんけ!] と、ターゲットを叱責する文面もあり、題名に『マリア命令』と冠した東谷からのメールには、 [潰せ!!] とだけある。読むだけでマウスをクリックする手に何か違和感を覚え、室内の冷房が一層冷え冷えと感じられた。 「マリアっちゅうのがボスか?」 足を組んだまま椅子を回し、PCに背を向けて久美の方に向き直って聞いた。 「そうちゃうか」 目をつぶったまま手を頭の下で組んで無愛想に久美が言う。 「明日これ当たってくれるか?」 「マリアを?」 「そう」 「ヤバいんちゃうの? いややで巻き込まれたら」 「ヤバかったら止めてくれたらええし、とりあえず東谷を当たってよ」 久美はわかったと言ってまたふて寝する。PCをそのままにし、毎度の事ながら、戸締まりと火の始末をするよう言い残し、事務所を出た。時間はすでに日付の変わる少し前になっていた。 エレベーターを降りるとエントランスでたむろしているガキがいた。男4人女が3人。直感でおれの部屋の集合ポストを確認していることを察した。腐りきった陰気な目つきが異様だ。 ガキはおれの顔を見ると蜘蛛の子を散らすようにマンションを出る者、エレベーターに乗る者、その場に留まる者と別れた。おれは知らん顔を装って車に乗り、事務所の久美に電話し、5階に不審者が上がらないか確認するよう言った。 「何かここ見に来てるわ」 少し笑いながら面白がって言う。 「カギちゃんと締めといてや」 そう言って電話を切るが、3筋先で左折し、すぐにUターンしてマンション出入口を監視する。恨まれる覚えは数々あるが、恐らく今回の件に絡んでいると判断した。 しかし、早い。どこから嗅ぎつけたのか不思議でもある。得体の知れぬ気味悪さに背筋に寒いものを感じた。 このページのトップへ 3話 夕方の4時を回るが、特に店に変化はない。三人の店員が来客の相手をするといった、極普通のどこの商店でも見られる光景が続いていた。 ただ、おれが引っ掛かるのは、この店の左側にある黒い鉄扉だ。恐らくこの鉄扉は、この店の2階に上がる入口になっているのだろうが、大きなドクロマークがペイントされているのが好奇心をそそる。 また、2階には窓がビルの4面全てに二つずつあって、全てが外から黒くペイントされてふさがれて、チャコールグレーのビルの外観を尚一層不気味なものにしている。中の人影はもちろん、照明の明かりの有無さえも確認出来ない。 それから1時間ほど張り付き、足下のタバコの吸い殻がもうすぐ10本に届く頃にその扉がゆっくりと開いた。中から出てきたのは寝ぼけ顔の黒人だ。年齢はわかりづらいが、派手な黄色のタンクトップに真っ赤の短パンという服装から若年であると推測される。しょぼつかせて開ききらない目がうっとしそうだ。 男は1階の店に入った。黒人店員と何かジェスチャーを交えながら親しげに話をしている。中から出てきた常連客と思しき10代の娘二人も親しげにすり寄り、賑やかな立ち話となった。 四人は20分ほど盛り上がり、2階の黒人が娘二人を連れてドアを開け、2階に上がっていく。ドアは開いたままだ。 店の前を通行人のふりをして歩き、ドアの中を覗くと、すぐに2階へ続く階段が見えた。外壁と同じく階段通路のコンクリートも黒ずみ、内壁は所々まだらに手垢で汚れ、わけのわからないステッカーがそこかしこに貼られていた。 ちょうど通り過ぎるやいなや黒人が降りてきた。手には看板らしき板を持っている。それを表に出して、黒人はまた2階に戻る。 <BAR Do Black(ドゥーブラック)> 黒板を二枚A字に貼り合わせ、白いペンキで筆書きされた文字とドクロのマークがなんとも怪しげだ。バーテンはあの男か。胡散臭い匂いがした。 7時を回るとあたりは人もまばらだ。1階の服屋が店じまいを始めた頃、おれの携帯電話が鳴った。 電話は久美からだった。依頼者の井上氏から電話があって、至急連絡が欲しいとの事とか。やっと目覚めたのかと冷やかすと、とっくの昔にたこ焼き屋に起こされたと語気を荒げて電話が切れた。そのまま井上氏に架電する。 「天野です。お電話いただいたそうで……」 主人が出た。待ちこがれていたのか、少し慌てた様子だ。 「実は店から帰ってっきたら息子が帰って来てるんですわ」 と、ヒソヒソ声で話す。恐らく近くに息子がいるのだろう。 「帰ってきた? またすぐ出る様子ですか?」 「いや、寝てるんですよ。どうしたもんか」 困惑するのも無理はないだろう。家出捜索の依頼をしたその日に当の失踪人が戻ってきているのだから。 「もう帰って来たので、捜索の方は……」 父親は調査の中止を持ち掛けてきた。が、おれには気にかかることが色々とあった。 「少しお話したいことがあるので、そちらにうかがってよろしいですか?」 「今からですか?」 さらに困惑する父親を押し切って、車で家に向かうことにした。 ターゲットの家は地下鉄大国町駅を西へ1分ほど歩いたミナミの下町にあった。もう築20年くらいの15坪ほどの建売住宅で、同じような建築様式の家が両側に建ち並ぶ、車一台がやっとの事で通れる狭い路地の一角。 玄関ドアの前に車を停車させると来訪を察したのか、父親が玄関先まで出てきて無言で頭を下げた。父親に助手席に乗るよう促し、住宅街の一角を抜け、御堂筋の路肩で停車させた。 父親の話では1時間ほど前に帰宅したら、ターゲットがすでに帰宅していて、自分の部屋で寝ていたと言う。服装など外見上どこか変わったところはないかと聞くが、特に目につかず、いつもと同じだと言う。 おれは父親にターゲットの交友関係が芳しくないこと、またそのグループが警察でも特に悪質なグループと位置付けてマークしていることなどを話し、今後の為にもそのグループとの関わりを知っておいた方がいいので、ターゲットの部屋の中を見せて欲しいと願い出た。 話はすぐに決まり、車をUターンさせてターゲットの家の前に停めた。父親に続いて家に入り、狭い急な階段を足音を立てずに昇り、2階の突き当たりのドアを静かに開けた。 6畳ほどの部屋の奥に置かれたベッドの上で大の字になって寝ているターゲットがいた。写真で見たイメージよりかなり頬が痩け、寝息も立てず死んだように眠っている。 部屋は照明が煌々とつき、テレビがつけっぱなしで放置されている。至る所に読み古した雑誌、マンガ、食器、CDなどが散乱し、典型的な若者の部屋に見えた。 おれはテーブルの上に無造作に置いてあった彼の携帯電話を手に取り、メールの送受信履歴、アドレス帳などを簡単にチェックし、父親にわからないよう、メール転送器を差し込み、すべてのメールをおれのPCに転送した。 意外なことに、アドレス帳は2件しか入力されていない。シークレットモードは解除できず、二人分の名前と電話番号だけ控えて部屋を出る。彼の枕元に置かれたノートPCのドクロマークが脳裏に焼き付いた。 1階に下りると、母親が心配そうにおれを待っていた。リビングに通され、父親と三人でテーブルを囲んだ。 「何をしてるんかさっぱり……」 そういう母親は困惑した顔だが、息子が帰ってきたので少しは安堵しているように思えた。 「これじゃないですか?」 と、腕に注射する仕草をしながら、安堵の表情を浮かべる夫婦に言うと、 「えっ!?」 と、二人揃って目をむいた。 「多分、クスリをやってるんじゃないかと」 二人は言葉を失っていた。おれがそういう根拠は二つ。物音にも動じず死んだように眠っていることと、頬が異常に痩けて目に隈が出ていること。明らかに典型的な覚醒剤使用者の症状だった。 「とりあえず2〜3日様子見て下さい。恐らくずっと眠ってますから」 そう言って立ち上がる。夫婦は、どうしたらいいのかとすがるようにおれを引き留めた。 「明日一日、彼の交友関係を調べます。その上で判断しましょう」 最悪の場合は警察に出頭することも視野に入れ、まず息子をグループから引き離すことを考えるよう夫婦に促し、早急かもわからないが、明日明後日中に考えをまとめるよう言い渡し、同時にこちらでも対応策を考えると言い残して家を出た。 このページのトップへ 2話 相変わらず事務机の前で鼻提灯をつくって昼寝をしている管理人を横目で見ながらマンションを出ると、真夏の日差しに見舞われた。 愛車のスカイラインの横でいつものテキ屋の健ちゃんが忙しそうに開店準備をしている。 「毎度!」 関西人独特の挨拶。手を挙げて声を掛けると、タンクトップと短パンから逞しい手足を露出した健ちゃんが、人懐っこい笑顔で振り返り、同じように手を挙げた。 毎度と関西人独特の挨拶を交わし、例によって車の見張りを頼んだ。ついでにたこ焼きを20個を事務所に出前を頼むと、一段と大きな声で「毎度!」と返って来た。 この場所で滅多に駐車違反で切符を切られることはないが、ここに車を放置する時はいつも彼に見張りを頼む。軽く手を挙げ、高島屋に向かって歩いた。 高島屋を右手に見ながら千日前の商店街を通り、キャバレーが並ぶ一角に馴染みの喫茶店がある。<純喫茶憩い>と称するこの店とは、5年前におれがミナミに事務所を出した頃からの付き合いだ。看板の文字が薄れて見えない事がこの店の歴史を感じさせる。 ドアを開けると、ガランとした無人の店内で、マスターが一人暇そうにテレビを見ていた。常連客に愛想しないのがこのマスターの流儀で、毎度とボソッと言うだけで、そそくさと冷蔵庫からつくり置きのアイスコーヒーのパックを取りだし、それをグラスに注ぎ、無言でカウンターに座るおれに出した。 「マスターは不良少年と付き合いあんの?」 それまで無表情だったオカマッ気のあるマスターは、おれが言った“少年”という言葉に反応したのか、口元が緩み、目にも異のつく光が入った。 「あら、どこの?」 「どこのって、この辺の」 「名前は?」 「井上幸太っちゅうんやけど、難波第二中の2年」 少年の写真をポケットから取り出してマスターに人差し指と中指でハナさんで見せると、彼はそれをサッと取って、ギラギラした目でマジマジと写真を見つめた。 「う〜ん、この子には見覚えないけど、二中ならショウのとこかな?」 「ショウ?」 「渡辺翔って言って、二中出身のやんちゃがおるんや」 タバコに火を付け、一服目の煙を吐き出しながらマスターが言った。 不良少年の仕事はいつの時代も同じく明けても暮れても縄張り争い。このミナミでは、大きく分けると三つのグループが勢力争いをしているとマスターは言う。 おれが追うターゲットは、この渡辺翔を頭にしたグループで、ここ最近の行状は目に余るものがあり、地元の警察も手に負えないくらいの横暴ぶりらしい。 「この間、心斎橋のスナックにタタキ(強盗)入ったん知ってる?」 そう言えば、一週間ほど前の新聞にそんな記事があって、久美が事務所で物騒だとボヤいていた。 「新聞に載ってたやつ?」 「そうそう」 しかし、それは外国人グループが犯人だったと記憶しているとおれが言うと、 「そういうヤツを遣ってタタキやカツアゲなんかもするらしいわよ」 マフィアみたいだとおれが苦笑すると、 「チャイマやんか」 と、マスターが眉間にしわを寄せ、手招きをするような仕草で小声で言った。 チャイルドマフィア―――。そう呼ばれているらしい。 ここ数年、時代の流れとともに不良少年達の質も大きく変わった。10数年前なら“暴走族”と呼ばれた少年グループが不良の頂点と怖がられたが、今ではマフィアの名前を冠する組織に変貌している。 また、その悪行もせいぜい交通違反の範囲とケチな窃盗、シンナー程度に留まっていた暴走族からは、随分、エスカレートし、殺人にまで至るケースもあることは世間でも良く知られていることだ。 「あんまり首突っ込まん方がええで」 マスターの気遣いは嬉しいが、仕事として引き受けた以上、一応の形が出来るまでは後には引けないと言うのがおれの信条だ。 「何処へ行ったら翔に会えるかな?」 おれがこの仕事に入り込むのをなんとか止めさせようと、なんとも言えない複雑な表情のマスターは、どうしてもと言うおれの意向をくんで、仕方なく店の電話を取ってアタリを付けてくれた。 10分ほどあちこちに電話し、ここへ行けと言ってメモが差し出された。メモには、アメリカ村にある輸入雑貨店の名前と住所が書かれていた。 「何これ?」 アジトだと言う。 「アジト? ショッカーでもおるんか?」 おれは苦笑いしたが、 「知らんでぇ」 と、マスターはあしらった。真顔だ。 おれはアイスコーヒーを飲み干すと、店を出た。 道頓堀を西へ歩き、若者が闊歩するアメリカ村界隈を足早に西へ抜け、阪神高速の四ツ橋ランプの南にその店はあった。 店は2階建ての古いビルの1階。建坪は15坪ほどか、所狭しとシャツやジーンズ、小物が並んでいる。店員は見た限り3名。若い女が二人と黒人の男。少し距離をおいて監視に入る。 このページのトップへ 1話 アブラ蝉の甲高い鳴き声が響き渡る梅雨明けの翌朝。いつものように阪神高速の高架下に違法駐車を決め込んだ。 車を降りると、真夏の朝独特の目眩がしそうな暑さに見舞われた。日差しの照り返しで瞼が半開きのままホームレスがたむろする児童公園の横を早足で通り抜け、築30年のボロマンションに入る。 管理人室で昼寝をするこのマンションの主に無言で手を挙げて挨拶し、ピンクビラが溢れかえる集合ポストに郵便物が無いことを確認して、オンボロエレベーターに乗った。 各駅停車のエレベーターを5階で降りると、おれの事務所の前に中年夫婦が立っているのが目に入る。夫婦はエレベーターを降りたおれがそれらしく見えたのか、こちらを見ながら軽く会釈した。 「あの〜、探偵の天野さんですか? これの……?」 気弱そうに言う夫らしき男性の手には、おれが日頃暇をみてポスティングしているチラシが握られている。 「そうですが。ご依頼の方ですか?」 男性の方が「井上と申します」と丁寧に名乗り、今度は恐縮しながらやや深めに会釈している。 電話での相談無しに朝一番で事務所を訪問されるのは、おれにとってはあまり愉快な話ではない。寝起きの不機嫌そうな顔を無理矢理仕事モードに切り替えて、なんとかつくり笑顔で話しかけた。無精髭を剃り忘れたことを思い出し、少し後悔した。 控え目そうな夫を押しのけて妻らしき女性が、 「はい。息子の家出の事で御相談したいんです」 と、はっきりとした口調で告げた。顔は緊張からか少し強ばっていた。 おれは「どうぞ」と夫婦を事務所内に招き入れ、恐る恐る事務所に足を踏み入れる夫婦の様子を背中で感じながら応接のソファーに座るよう促し、照明とクーラーの電源を入れ、冷蔵庫で冷えていたアイスコーヒーを二人にふるまった。 いそいそと簡単に朝の開店準備をしながら世間話を少しした後、名刺を差し出して応接に浅く腰掛けて対座する。 「息子さんの家出ですか?」 夫婦は揃ってうなづいた。こういう探偵社などという胡散臭い事務所に来るのは初めてなのだろう、おれの一挙手一投足をまじまじと観察しながら緊張している。この季節は家出する少年少女が一年中で最も多い時期だと苦笑しながら話を切りだした。 「おいくつですか?」 「中学生です。14才」 「もう夏休みですよね」 「3日前から。でも、夏休みの前から帰ってこなくなって、今日で二週間……」 「今回が初めてですか?」 「いえ、前にも何回かあったんですけど、その時は長くても3日くらいで帰ってきてたんですわ」 母親は息子を心配し憔悴しているものの、口調はしっかりしている。寧ろ横にいる父親の方が小さくなって落ち込んでいるといった感じだ。 少年少女の家出の場合、ほとんどは盛り場で朝までブラブラして、昼に友達の家で居候している事が多いが、何か思い当たるところはあるかと訊くと、 「多分……」 と、言いながら、ターゲットの立ち回り先を書き出したメモを出した。 メモに書かれた彼の立ち回り先は、ゲームセンター、ファーストフード、コンビニ、それから仲のいい友達の名前と携帯番号が5人分。中学生ならこんなものか。 親として一番心配するのは、子供が悪の道へと踏み込まないかと言う事である。まして、こんなミナミの盛り場に近い所に住んでいては尚更だろう。 「この友達っちゅうのは、学校の友達ですか?」 「そうだと思うんですが、前に息子の携帯をちょっと覗いたときにこの子らの名前と電話番号が出て来たもんですから……。でも、どんな子達かは見たこともないんです……」 夫婦はミナミで小さな食堂を経営していると言う。共稼ぎであるため家を空けることが多く、今日まであまり息子の行動に注意を向けることもなかったのが素行不良の原因だと自らを責めた。その上、彼が一人っ子であったため、小さい頃から甘やかしたのがいけなかったと深く自戒している。 「まぁ、御両親が望んでこういう状況になったんではないし、誰しも長い人生の中では一度や二度の素行不良状態になることはありますわ」 「そうですか……」 「エラッそうに言ってる私自身も息子さん位の時は、そらぁブイブイいわしましたから」 そう言っておれが笑うと、夫婦も少しは気が和んだようだ。 家出捜査の方法としては、大きく考えると二通りの方法がある。一つは失踪者の情報を待つ方法。要するに失踪者からの連絡か親しい友人などからの接触情報を待ってから動くやり方と、もう一つは、ターゲットの関係立ち回り先を虱潰しに捜して回る方法だ。 夫婦の話では、家出と言っても恐らくミナミの盛り場を彷徨いて地元の不良達とたむろしている可能性が高いと言うので、後者の方法を選択し、とりあえず一週間の捜索をと依頼された。 「で、見つけた場合の処置ですが、いかがします?」 「どうしたらいいんでしょうか?」 母親が混迷した表情でおれの顔をのぞく。 「まぁ、無理にでも連れて帰るか、そのまま泳がせておくかですが」 夫婦は顔を見合わせて押し黙った。親が家出した息子の処置を悩むのもおかしな話だが、それほど夫婦はこの息子の存在を持て余し悩んでいるのかもしれない。 「じゃぁ、とりあえず調査を始めてみて、見つけ次第連絡するっちゅうことでいいですか? その後のことは見つけてから考えるってことで」 「はい。それでお願いします」 夫婦は声を揃えて言った。夫婦の生活に多少の金銭的な余裕もあって、金額的な交渉がすんなり終わったことで、話が意外とスムーズに運んだ。 その後、30分ほど世間話をし、調査料金の振り込みを約束した頃、おれに対する警戒心が解けたのか、人知れず悩む心の内を吐露して気が晴れたのか、夫婦にも笑顔が浮かび、帰る際には少し元気を取り戻していた。 昼過ぎ、居候娘の久美がボサボサの頭を掻きながら戻ってきた。 「どこ行っとたんや!」 返事は帰って来ない。何ぬかしとんねんってなもんか。 「彼氏でもできたんか?」 久美はちょっとおれの方を睨んで、踊る恰好をした。今年で3回目の当たり年を迎えるおれには良く分からないが、クラブとかいうもの行っていたらしい。二日酔いなので、あまり話しかけるなとジェスチャーを交えて無言で訴え、目の前のソファーに寝ころんだ。これ以上話しかけるなという勢いでタオルで顔を覆う。 ふて寝を決め込もうとする久美のタオルを取って、先程、夫婦が置いていったターゲットの写真と立ち回り先のメモを久美の前に示す。が、生意気にもこの居候娘は右手でそれをはらってシカトする。 「クーさ〜ん、お仕事ですよ〜!」 耳元で言ったのがカンに触ったのかそっぽを向かれた。 (どういう教育をしとったんやろなぁ、コイツの親は……) ここに居候してかれこれ2年。今年で20才になると言うこの娘の名前は沢田久美。一応、小生の秘書兼助手。おれの仕事場で寝泊まりし、これまでおれが甘やかしすぎたのもあって、この頃では随分横柄な態度をとるようになった厄介者だ。 ご機嫌を取るのもしゃくにさわるので、夫婦から預かった写真とメモを持って、一人で事務所を出た。 この物語は完全なフィクションです。登場する人物、団体等の名称はすべて架空のもので、実在する人物、団体等とは何ら関係ありませんので、御了承下さい。 このページのトップへ |
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